人生悔いなし…

人間含め、生き物にはいつか死が訪れます。これは誰も避けられない。
毎日を過ごすと死ぬことなんて考えられないかもしれませんが、毎日確実に死への階段を上っているとも言えます。

ここで考えてほしいんですよ。

今日やったことって、死ぬ前にもやりたかったことなのか?と。


人生の大半は暇つぶしである

正直な話、いつ死ぬかなんて誰にも分からない。事故にあうかもしれないし、余命宣告が大幅にずれる場合だってある。誰しも死を予測することは不可能なんです。もっといえば、誰しも死は怖いものであるので、人間の脳みそからするとそんなストレスは毎日抱えられない。
そうなると私たちは【死を考えないで過ごす】という日々を送ります。

じゃあ死を考えないとしたら何を考えるのか?
現状の喜怒哀楽で生きていくか、ちょっと先の未来予測から逆算した振る舞いをするわけです。

ここで改めて考えてほしいのですが
いつ死ぬかわからないのにつまらないことで悩んでいては意味がない。
いつ死ぬかわからないのに未来のことをやっていても意味がない。

どちらも当たっていますが、なんだか味気ないですよね。人生はもっといろんなことがあるはず。

で、このいろんな事って、実はほとんど【暇つぶし】なんですよね。

ほとんどの人は人生の意味など考える間もなく日々に追われていますし、暇があったらせいぜい自分の趣味ややりたいことに費やす程度。結局、暇つぶしに精を出す人生になりがちです。

暇つぶしの例を挙げると…
・とりあえず誰誰とお付き合いしたい
・とりあえずお金儲けして自由にお金を使いたい
・とりあえず仕事のストレスをなくしたい
・とりあえず寝たい、食いたい、ヤリたい
・とりあえず言われた通り過ごしたい

etc…
まぁ、こんなもんでしょう。

たぶん死ぬ前にはこういう事考えないと思うんですよね。
ね、暇つぶしでしょ?

この暇つぶしがダメってわけではないし、本気で暇つぶししたらさぞ充実することでしょう。

でも、この暇つぶしが【人生そのもの】と考えてしまうのはちょっと違うんじゃないかと。



あ、暇つぶししている…と気づいてからが人生の始まり

ほとんどの人生時間を暇つぶししてしまうことに気づいてからが楽しい人生の始まり。最初は後悔したり自暴自棄な気持ちになってしまうかもしれませんが、そんなのはさておき、本当にやりたいことが見えてくるから。
場合によっては常識はずれなことをやりたいと思うかもしれませんが、もしかしたらその想いが人生をかけるに値することかもしれない。

そう考えると、暇つぶしなんてしている暇はないんですね。やりたいことがあるわけですし、時間は有限なのですから。

そうすると、日々にハリが出てきます。小さな悩みなんてどこへやら、本当にやりたいことに向かって生きている人生はものすごい充実感でしょう。


私たちは全員、人生の目的が違う

安心して欲しいのは、答えは自分で決められるという事。常識外れだって別に構いません。なぜかというと、私たちの目的は人それぞれだから。幸せな家庭を築きたい人もいれば、財を成して社会福祉したい人もいれば、ただただ食を追求したい人もいれば、ボランティアをやっている瞬間が幸せな人もいるわけです。

だからこそ、自分のやりたいことは全力でやっていい。それが迷惑になる事なんてありません。(極論、人に迷惑をかける事だったとしても、それを阻止したいと思う人もいるわけで…)

私たちの人生はとりあえず1回きり。最近漫画で流行の異世界転生が起こる保証なんてどこにもありませんし、転生したとしても忘れていることがほとんどですからね…(前世の記憶ってほとんどの人が持ってないですよね?持っていても普通だったりしますけども。笑)

なので、今日から【死ぬときに同じこと・同じ状態で幸せなんだろうか?】と考えて過ごしてみてください。少しでも違うと思ったら、理想に沿った・理想が成就する行動をする。理想に向かっているならば、もし道半ばで死が訪れても充実感があるでしょう。やってきた結果ですからね
(∩´∀`)∩

今どんなに辛いことがあっても、それ自体への悩みが人生の目的ではない。解決して先に進むことが目的なはずです。きっと、楽しい人生が待っていますよ
( ^^) _旦~~